オートメーション・バカを読んだ感想
「ネット・バカ」のニコラス・G・カーの最新作、「オートメーション・バカ」を読みました。
おすすめポイント
前作に続きタイトルがあれな感じで抵抗ある人もいるかもしれませんが、原題は "The Glass Cage: Automation and Us" ですので安心してください。プログラマは今すぐくたばれとかそういう内容の本ではありませんでした。
あと、これは著者だけでなく翻訳者の力量の賜物だと思うんですが、リズム感がとても良くて、物語を読んでる感覚になります。
著者が言ってること
1章と2章、9章の最後の方をざっと読んだ雑な解釈だけで書くと、こんな感じです。
- オートメーション進むと人間の体験が失われるよね
- でもオートメーション止まらん
- 草刈りだって楽しめるんだぜ?
感想
草刈りだって楽しめるというのはどういうことかというと、オートメーションで得た結果よりも、過程にあった手段の方が大事だったんじゃないの?という話です。大鎌を使って草を刈るときの没頭感についての詩を引用して著者が主張しているのは、没頭感そのものの重要性です。結果として得られる干し草ではなくて、大鎌の利用に習熟して草刈りの作業に改善が感じられた時の快感やそこに没頭するときの感覚が人間の幸せなんだ!と、こういう感じのことを書いています。
とにかく、著者はオートメーションで人間が幸せになるかってところに疑問を持っていて、この本では手を変え品を替え、その不確実さについて論じているのです。前作のネット・バカと共通して、テクノロジーによる生産性やら利便性の向上を認めつつ、それが人間の体験に与える影響が必ずしも良いものだけではないということをはっきりと示しています。
そして、じゃあ何が大事なのっていうひとまずの結論が(僕の読んだ感じとしては)大鎌での草刈りの価値を認めることなのだと思います。世界を外向きに見た時に、大鎌を使うのと草刈機でガーーっと草を刈っていくのでは、後者の方が進歩しているように見えます。けれども、それを行っている一人の人間の体験、内側を見た時には、前者の方が幸せだったり喜びを含んでいるのではないか、という見方にはある種の納得感があります。プログラマにとっての例を挙げるなら、IDEでボタンを押すとコードのスニペットがぺたぺたと貼り付けられ、補完によって手をあまり動かさずにプログラムができていく、そういうコーディングをしていると物足りなく感じるようなものでしょう(この例も本書の第4章で紹介されています)。
草刈りだとかIDEという例を取っ払ってもっと一般的に書くのであれば、労働者の幸せは生産性や利益の向上とはあまり関係ない ということが、僕がこの本から気付いたことです。
この本は、テクノロジーという枠を通してこれからの労働観についてじっくりと考えさせてくれました。ギークに限らず、これからの時代を生きる人たちには楽しめる内容だと思います。